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大慈寺について 概要

山号・寺号 法雨山 大慈寺
御本尊 十一面観世音菩薩
宗派 臨済宗妙心寺派
歴史・沿革  当山の開創年代は、不詳なるも伝によれば「天文年間紀州由良興国寺法燈派の僧隣仲集徳首座、当地五奉行の長川面氏等の外護により当山を創む」とあり、 日本禅宗二十四流の一派心地覚心禅師(法燈国師)開祖の法燈派の流れを汲む小庵として草創されたと伝えられている。草創期は開山の名を取り隣仲庵と称していた。 昭和13年興国寺発行の資料によれば、当山は、法燈国師有縁の地とあるが当山に確たる資料なく不明である。
 正徳年間(1715年頃)八代南禅義節和尚の頃、山号寺号を蔭凉山林中寺と称するようになる。享保八年(1723年)、九代僊山祖林首座、本寺興国寺に上山中に方丈焼失。 爾来方丈再建に、27年間を要した。
 この時期、京都花園妙心寺の法系南勢の地に入り、寛延3年(1750年)十二代陽春亀慶和尚の時、妙心寺に轉班し当山伝法一世となる。 以来当山は、興国寺と関係を保ちつつも妙心寺の末寺となる。
 安政4年(1857年)正月2日難船取調の藩役人の不始末により方丈庫裡焼失。 3年後の万延元年(1860年)に方丈再建、さらに2年後の文久2年(1862年)庫裡を再建し、同時に波切石工の代表作である石垣30間を竣成する。 時の住持十六代明邦慧白和尚は、万延元年新本堂竣成と同時に山号寺号を法雨山大慈寺に改めた。
 明治24年(1891年)波切村は、村民善導のため普通道場を開設し、虎渓山道場潭海玄昌老師を拝請し雪安吾九旬の結制を行った。爾後波切道場を僧堂たらしめんと企画するも成らず解散。 その時の潭海翁波切道場亀鑑は、当山に残されている。
 昭和32年(1957年)二十一代典嶺義正和尚の代に、境内に波切保育所を開園。 昭和47年までの15年間当山の境内から1,000名以上の園児を送り出し、日本保育学会での研究発表で「倉橋賞」を授賞した。
 昭和62年(1987年)12月志摩七福神霊場・四天王病封じ霊場を開創し広く全国から参拝者を受け入れると共に、境内周辺にあじさい園を整備し「志摩のあじさい寺」と 呼ばれるようになる。平成9年ホール形式の新本堂を竣成する。

連絡先・住所

大慈寺 外観

〒517-0603

三重県志摩市大王波切409

TEL 0599-72-0089

FAX 0599-72-0103

E-MAIL info@daijiji.jp